難病請負人 よもやま話
苦痛、勘違いの痛みについて
<苦痛について>
例えばリウマチなどで発生する痛みについて、医学的に正しい「正当な痛み」だと思い込んでいる人が多いようです。
そのため、「その痛みの大部分は幻影ですよ」というと、ポカーンとしてしまう患者さんもいらっしゃいます。
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まず体の「痛み」と心の「苦しみ」を分けて理解することが大切です。
いま苦しんでいる人にはおそらく同じに見えるでしょうが、
「別の視点」や「別の次元」のことといってもいいかもしれません。
たとえばスポーツ選手のケガは「痛み」です。
(彼らが「けがで痛いのは当然」と達観しているのにはいつも驚かされます)
リウマチの人の多くは「苦痛」と表現すると分かりやすいかもしれません。
痛みの大きさが同じでも、「苦」の一字が入ると感じ方は大きく違うわけです。
苦痛とは、「苦しさ」を伴った痛みといっていいでしょう。
内面の核の部分が「苦」の心です。
もし痛みの信号の大きさが同じであっても、もともとの苦しみ(苦の心/傾向性)の量は人それぞれであり、決定的な違いを生むことになります。
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<痛みは勘違いにより、大きく感じることもできる>
国際疼痛学会により作成された痛みの定義があります。
「痛み」の正体は、複雑であり、記述にかなり苦心したようで、
一般の方には難解でしょうから、ポイントだけ述べておきます。
1.痛みは「感覚」だけでなく「情動」が関与する。
2.組織の実質的変化がなくても、痛みは発生し得る。
この2点をまず押さえておきたいところです。
私の表現では、「間違った痛み」「勘違いの痛み」ということになります。
ある人が、体に痛みを感じる時、本来感じるべき痛みの量より大きく感じることもあるし、小さく感じることも可能です。
視野を広げることで解決できることは多いものです。
中村は「両極端を見ることは素晴らしい」とよく言うのですが、痛みを小さくする試みだけでは、全体的な理解は困難と思います。
そうではなく、痛みを大きくするテクニック、小さくするテクニックの両方を体得することで、「痛みは自分でコントロールできるんだ」という自信がついてくることでしょう。
この自信と理解が、東洋医学・代替医療への確信、ひいては「内なる治癒力」が存在することへの確信に至れば、一生の宝物になってくれるはずです。